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忠ちゃん奮闘記 / 1977 勝たなければ意味が無い |
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小学校5〜6年生の頃の三男は友達から忠幸君と呼ばれ、愛称は「めっき」と言われていたようである。息子も「めっき」と言われていることが、大変気に入っていたようである。自分からも「めっき、めっき」と言っていた。生徒会長に立候補する時、選挙ポスターに「めっき
よろしく」と書いてあった記憶がある。また作文などにも、ところどころ「めっき」の字が書いてあった。
私はその様子を見て気を良くしたものであった。
小学校から高校時代を通して野球をやっていた。小学、中学時代は強いチームに属していた。福井市は勿論富山県、名古屋にある中日球場等の県内外の試合に参加していた。私も親ばかであろうか、ビデオを買い飛び回ったものである。その当時のビデオカメラは図体も大きく大変重いものであった。それを担ぎ試合がある度に出かけて行ったものである。
高校時代の高志高校はあまり強いチームでなかった。県大会の試合が福井球場であったが、ご多分にもれず負けてしまった。その試合で息子はホームランを打った。試合後記者会見があり、記者から「清川君、ホームランを打ちましたね、ご感想は」と聞かれ、「いくらホームランを打っても、野球は勝たなければ意味が無いです」と応えていたことを記憶している。
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