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忠ちゃん奮闘記 / 1961 ボーナス |
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昔の中小企業は月2回の休みがあった。1日と15日が休みであった。
その頃の月給は8千円か9千円と記憶している。
朝7時ごろ家を自転車で出て7時半頃仕事場に着く。1日を終えて帰る前にはバフにニカワを塗りエメリ粉を着け明日使えるようにする。これが日課である。
ニカワ沸かしは大変で一番難しかった。ニカワを薄くすると金属が研磨出来ない、厚くするとニカワが割れて飛んでしまう、この繰り返しが毎日であった。朝仕事場に来て自分の塗ったバラの切れ具合を見るのが楽しみであった。
そんな毎日の中で年2回のボーナスがあった。その頃の大手企業では現在の型のボーナスがあったと思う。
親方から「おい! 忠 武生の菊人形でも見て来いや」と言って一万円もらった記憶がある。
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