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忠ちゃん奮闘記 / 1968 母のテレビ感電死? |
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母は晩年子宮癌で苦しんでいた頃、良く我が家に遊びに来た。
茄子、スイカや大根をてんごに5〜6個入れて「忠 いるか」と良く訪ねて来た。
会社創業20周年記念に「茄子下げて 忠いるかと声がする」とお母さん像の台座に刻んだ。母は亡くなったが今現在でも「忠 いるか」と来るような気がする。
亡くなったとは思ったことが無い。病気でずいぶん辛い思いをしたのであろう。死のうと思いテレビの裏蓋を外して感電死して死のうと思ったそうです。
ある日、「忠 テレビの裏を見てみい、電線が裸になっているやろう」と言ったことがある。見ると真にその通りであった。びっくりした。
母は我が子にも辛いと言ったことが無かった。しかし母は清川家より自殺者を出すと子孫の代までおよび嫁の来てがなくなると思い止まったそうです。これは正に親心と言うものであろう。母の生き方は間違っていなかったと思う。
今我が子3人ともお嫁さんをもらい、4人の孫に取り囲まれて幸せである。この話は日赤病院で入院していた頃に聞いた話である。
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