めっき屋人生写真館
忠ちゃん奮闘記
1940 誕生
1968 寒ぶな釣り
1945 戦時中と爆弾
1968 母のテレビ感電死?
1948 震災とおばんどこ(父の実家)
1950 ご飯たき
1953 父の病気
1950 父の話と思い出
1951 父とグローブ
1962 1回目の養子の話
1954 父の死
1960 お中元 お歳暮の話
1961 ボーナス
1959 松原めっき時代の話
1960 涙のリアカー
1961 なぜ めっき業を
1962 大起工業勤務時代
1963 結婚
1963 新婚旅行
1963 38豪雪福井に帰る
1963 創業初めての売上
1964 中古品
1965 励まし
1965 武田機械の話
1965 お客様とは
1965 早川社長の話
1968 親方来社
1967 初めての借金
1968 母に言った言葉
1969 冬の西瓜
1970 次男の交通事故
1972 福井弁
1973 大きな仕事
1977 勝たなければ意味が無い
1975 電子部品めっきのきっかけ
1980 壊し魔
息子たち
長男・肇の昔話
次男・卓二の昔話
三男・忠幸の昔話
創業当時を語る
早瀬さん(元常務)の昔話
村尾さん(元工場長)の昔話
清川敏部長の昔話
ISO-14001,9001認証取得 ISOへの挑戦 清川 卓二
会長語録  清川 忠
その他
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 忠ちゃん奮闘記 / 1963 結婚

 23や24歳では若いと言うことで、誰も信用してくれないと言われ、年をごまかす為鳥打ち帽子をかぶり脇の下にカバンを抱えて営業をしたものである。
 その後しばらくして家内と結婚した。それは昭和38年3月23日お彼岸のお中日であった。結婚は見合いでした。高校を卒業すると福井精練に勤めた。その当時家内の兄貴も同じ職場にいた関係で、見合い写真を見てこの人は良く知り真面目でいい人であると太鼓判を押したそうである。言うでもないが家内は可愛いい子でしたよ。
 結婚した夜、家内に言った言葉を今でも覚えている。海のものとも、山のものとも分からない仕事であり、お客も少ないし食えるか食えないかも分からないのに私のところに来てくれたことを感謝し、生活に困らせないようにしょうと決意した。心の中では世界一の幸せ者にしてやると思った。家内はその言葉を覚えているかいないかは分からない。

  平成7年7月5日に家内と韓国で行われたライオンズクラブ国際大会が行われた時参加した。その時革の鳥打ち帽子を見てあまりの懐かしさの余り、思わず当時を思い出し買ってしまった。



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