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忠ちゃん奮闘記 / 1967 初めての借金 |
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めっき業を始めた頃、工場は70坪程しかなかった。
3年目か4年目の頃になると仕事も増えた。ちょうどその当時隣の空き地で立ち小便をしていたところ、畑をしていた地主が立ち上がって私のところへ来た。「清川さん、この土地ほしんやろの」と言った。私は「はい」と応えた。すると地主は「清川さんは弟やで金ないやろうで、月賦で分けてあげてもいいんにゃざ」と言って下さった。その人は森下喜代治さんのお父さんである。
この話を母にしたところ「そんな良い話なら買わんとあかん。なにを考えているの」と言うだけであった。母に相談したのは訳があった。「それなら金を貸してやるわ」と言ってくれるものと期待していたが見事に外れた。母いわく「その金は自分で工面してこなあかん。親に頼ったらあかん、男やろう」とあっさりと断られた。
その当時なんと言う母親と思ったものである。今にして思えば商売や事業と言うものは人に甘えたり頼ったりしてはやっていけないと言う教訓であったと思う。ライオンの親は子供を谷底へ突き落として世の中の厳しさや生きる大変さを教えると言われている。
母にして見れば心では金を貸してやりたかったと思う。心を鬼にして金は貸せないといった意味がこの年になって良く解る。人に頼るな、自分で切り開けと言うことであった。これも子を持って親の気持ちが解ると言うが全くその通りである。
これが初めての大きな借金である。
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