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息子たち 長男・肇の昔話 / 子供の頃 |
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小学生のころ、先生から"将来はどんな職業に就きたいですか?"という質問があった時答えることが出来なかった記憶が残っています。クラスの中で自営業をしていて親が社長だったのは自分一人だけだったので、学校でのあだ名が"社長の息子"でした。また、自宅に帰ると従業員の人達から"跡継ぎ"と呼ばれ、親の会社の跡を継がなければならないといった雰囲気の中で生活をしていました。この時すでに自分の人生が決まってしまったみたいで、
"親の跡を継ぐことです"とは決して言えませんでした。
この時、清川メッキ工業(株)の従業員数は約20名だったと思いますが、お盆と正月以外は土日もなく両親とも働き詰めの生活でした。子供の頃なのであまり理解はしていませんでしたが、後から聞いた話では生活費にも苦労するぐらいギリギリのところで会社の経営をしていたそうです。当然、両親に遊びに連れていってもらったことがほとんどありません。
しかし、唯一記憶に残っている旅行があります。それはお盆に京都の天の橋立へ行ったことです。この旅行は、私が"何処か旅行に行きたい"とせがんで仕方なく出発した旅行で、宿を予約したわけでもなくあてのない旅行でした。当然泊まる所などなく車の中家族5人が野宿する事になりました。これも、宿に泊まるお金などなくこの旅行に出発したと後から聞き、そんな状況で私達を喜ばそうと旅行に連れていってくれた両親に感謝しています。
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