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創業当時を語る 早瀬さん(元常務)の昔話 / 新入社員時代 |
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ふとした切っ掛けで清川社長が拙宅に見えられた。「めっきの仕事をやって見る気はないか」とのお誘いを受けた。ちょうどその頃、前の勤務先で体調を崩し、入退院を繰り返していた。昭和46年5〜6月頃であったと記憶している。
その時、社長の人間味のある心の広いお人柄と将来のビジョンを語られたのが強く印象に残っている。30歳を過ぎたばかりの若さで10人余りの社員を有し、しかも鉄筋3階建の社屋を建設されていた。この溢れるばかりのバイタリテイに、よしこの方となら骨身惜しまず働けると思った。
昭和46年9月頃、見習いとして入社させて頂いた。同年12月正社員となった。当時の社員は私を含めて男子は9名、女子は4名でステンレス研磨、ニッケルクロム、硬質クロム、亜鉛メッキパレルを含むアルマイト加工、塗装部品の組立、黒染工作機械用ギア類のホーニング加工等多種に及んでいた。私は前任者の後を引き継ぎご用聞き配達等の仕事をしていた。
外回りをしていると、お客様よりめっきのことアルマイトのことやさまざまな専門的なことを聞かれ返答に困ったが、知ったかぶりををして急場をしのいだ。帰社すると社長や先輩達に尋ね歩き、時間を見つけては現場のあちこちの仕事をかじっては勉強した。幾度も失敗をしながら身をもって体験することの尊さを初めて実感した。
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