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創業当時を語る 早瀬さん(元常務)の昔話 / 第1号自動装置完成 |
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昭和48年頃、大聖寺市の大同工業(株)様がオートバイ用アルミリムの表面処理に困っているとの情報を入手し、社長は同社を取引開拓の為日参した。
社内では昼夜を問わず社長始め社員総掛かりで研究開発に取組んだ。その甲斐あって何とか試作に成功した。客先の反応も非常に大きく、この時は全員が飛び上がらんばかりに喜んだ記憶がある。
間もなく量産試作用のリムの仕事が持ち込まれた。小さいながらも電解研磨用の量産試作用機械を製作し、既設アルマイトラインと併用して手動にて量産試作を開始した。しかし単品試作と量産試作にはおおきな隔たりがあり、試行錯誤の末ようやく満足の行く品質にまで漕ぎ着けた。
オートバイブームに乗って受注が増え始め、手動ラインでは生産に支障を来す懸念があると言うことで、全自動装置の設計に取り掛かった。電解研磨プラスアルマイト光沢を失うこと無く、従来のクロムめっきに似た銀色を出すことが出来た、またそのアルマイトに金色を施すといった処理で全国でも最初の試みであった。設計製作にかなりの時間を要したが、ようやく我社が製作した第一号の自動装置が稼動開始された。始動ボタンを押す時の胸の高鳴りは今でも忘れられない。
ホンダ、カワサキ、ヤマハの主たるバイクメーカーのリムを表面処理加工した。特にホンダの1000CCクラスのものは全量米国向けのもので、我社で加工したものが世界で活躍していると思えば大きな喜びとなり、自信が湧いた。
毎朝4時〜5時にボイラーに点火し6時に作業を開始し、夜の9時〜10時頃終了した。そのような日が永く続いたように思う。私は若さの勢いもあってか、その頃は楽しさが一番大きかったような気がする。仲間も2人、3人と増え始め2号ライン、3号ラインも完成し、少しずつ作業時間が短縮されて来た。
それまで祝日は勿論日曜日の返上も多くあったが、誰も文句を言わなかった。
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