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忠ちゃん奮闘記 / 1940 誕生 |
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私は昭和15年9月6日誕生である。父・堺と母・まつのの二男一女の次男として生まれた。
お姉さんの清子は3歳で亡くなったそうです。
誕生にまつわる逸話がある。9月と言えば秋の取り入れの真最中であった。稲刈りの最中に破水が始まったそうです。産み月としては2〜3ヶ月早い、おかしいと思いお産婆さんの所には行かず駅前の産婦人科の病院へ荷車に乗せて父親が引いて行ったそうです。病院に着くとすぐ生まれたとのこと。
私は片手にすっぽり入る小さな未熟児で生まれたそうです。お医者様が注射を打ち両足を持って逆さにして、手の平で何度かたたいたそうです。すると真黒な私がみるみるうちに赤くなり、息を吹き返し大きな産声を上げたと聞いている。
昭和15年頃は普通であれば近くの産婆さんで生む時代ですので、「お母さん、この子は死んでいますよ」と言われても仕方がなかったかも知れない。
母のとっさの判断で病院へ駆け込んだことで、今日の私があるのだと思う。
感謝している。
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