めっき屋人生写真館
忠ちゃん奮闘記
1940 誕生
1968 寒ぶな釣り
1945 戦時中と爆弾
1968 母のテレビ感電死?
1948 震災とおばんどこ(父の実家)
1950 ご飯たき
1953 父の病気
1950 父の話と思い出
1951 父とグローブ
1962 1回目の養子の話
1954 父の死
1960 お中元 お歳暮の話
1961 ボーナス
1959 松原めっき時代の話
1960 涙のリアカー
1961 なぜ めっき業を
1962 大起工業勤務時代
1963 結婚
1963 新婚旅行
1963 38豪雪福井に帰る
1963 創業初めての売上
1964 中古品
1965 励まし
1965 武田機械の話
1965 お客様とは
1965 早川社長の話
1968 親方来社
1967 初めての借金
1968 母に言った言葉
1969 冬の西瓜
1970 次男の交通事故
1972 福井弁
1973 大きな仕事
1977 勝たなければ意味が無い
1975 電子部品めっきのきっかけ
1980 壊し魔
息子たち
長男・肇の昔話
次男・卓二の昔話
三男・忠幸の昔話
創業当時を語る
早瀬さん(元常務)の昔話
村尾さん(元工場長)の昔話
清川敏部長の昔話
ISO-14001,9001認証取得 ISOへの挑戦 清川 卓二
会長語録  清川 忠
その他
<< 前項┃   ┃次項 >>
 忠ちゃん奮闘記 / 1951 父とグローブ

 昔も今も野球は子供も大人も大好きである。
その頃町の子は皮のグローブとバットを持っていた。少なくともズックの靴地で作ったグローブは持っていたように思う。私は母にぼろ(使い古した布)でグローブを作ってもらい、友達と野球をしていたが、だんだん田舎の子も新しいグローブを持つようになった。

そこで私も父にグローブを買ってほしいと言った事がある。父は「忠がもっと上手くなったら買ってやる」と言った。

1週間か10日後か記憶が定かでないが、捜し物をしていて2階の夜具入れを開いたら、布団の下に蚊帳があり、その蚊帳を引き出したら、ズックのグローブが出て来た。
その時までは、父はグローブを買ってくれない、なんちゅ言う父だと思ったものであったが、年月が経って思うと子供にほしいと言ってすぐ買って与えると子供はあほになる。すぐにも買って与えたかったに違い無いと思う。隠しておいた心境が良く解る。

しかし、2階の夜具入れにグローブがあったとは言えなかった。

父は数日後お手伝いをしたと言う名目でグローブを出してきた。自慢して友達に見せびらかした記憶がある。



<< 前項┃   ┃次項 >>