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忠ちゃん奮闘記 / 1973 大きな仕事 |
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オートバイ三元合金アルミリムアルマイト処理の話である。
昭和48年石川県にある大同工業の仕事をほしくて毎日毎日大同工業に足を運んだ。課長の下口さんに面会を申し込んだが、最初は忙しいと言うことで、会うことは出来なかった。
大同工業に行く切っ掛けになったのは、ある人より大同工業にはヤマハ、ホンダ、カワサキのオートバイリムをアルマイト処理する仕事があると言う話を聞いたことがあったからである。
毎日毎日大同工業まで通い、その内に私の顔を見ると隠れてしまった。それでも通い続けた。ある日、下口課長さんが「清川さんには根負けしました」と言って、私の話を行くたびに聞いて下さった。
そこで話をしているうちに、ある日アルミリムはバフで光沢を出して出荷しているが、バフだけだと大きな欠陥が有ると言うのである。「三元合金のアルマイト処理は出来ても光沢アルマイト処理が出来ない」と話しが出て来た。
この話を聞いて「男は赤ちゃんを産むことは出来ないが、それ以外のことであればやる気さえあれば出来ない物はない」が私の信条である。「やってみましょう」と軽く返事をした。後で分かった話しであるが、三元合金アルミ材は非常に難しい材料であることが分かった。
しかし社員は毎日夜10時〜11時までも実験を重ねても結論がでない為、一旦家に帰るがまた会社に来て、ああしたら良いのでは、こうしたらどうだろうか、薬品の配合はどうかとやっているうちに、何時の間にかみんなが出勤してきたことが度々あった。上手く行かずに材料メーカーの下関にある神戸製鋼所のアルミ工場へ出かけて行った事もあった。
話しはちょっと横道に外れるが、その時練りウニをお土産に頂いた。下関は練りウニの名産地であると聞かされた。いや練りウニの産地は越前福井ですと反論したが、いや練りウニは日本一と言い返された事を思い出した。
話しは元に戻すが、神戸製鋼所では、三元合金の配合や情報を聞かせてもらった。三つの元素それぞれの特徴を見極め、温度はどうか、電流はどうか、薬品の配合はどうかといろいろと調べ開発を進めた。4〜5ヶ月位かかったが死にもの狂いであった。意外に速かったと思う。2〜3年で全自動光沢アルマイト処理機ラインを完成させた。日本中、我が社の開発した光沢アルマイト処理されたオートバイが走るようになった。その名はH型リムとE型リムである。その当時の金で4千万円の設備であった。生まれて初めての大きな賭けであり、大きな借金であった。開発に成功した喜びとお客様にも喜んで頂き、そんな喜ぶ顔を見たさに、次の新しい開発に挑戦した。またそうすることによってお客様に頼られ、信頼されることを誇りであると思っている。
その当時は18人の社員がいたと記憶ている。当時の新聞記事で社員は30人より増やさないと話したことが記載されている。その当時から現在においても社員の多いのは自慢にならないと思っている。問題は中身である。何故か、今日では180人程の社員がいる。わからない!
しかし今現在においては必要不可欠な社員の数と思っている。
大同工業との取引が始まったころ、家内も子供を助手席に乗せてトラックを運転して同社まで配送したこともあった。これも懐かしい思い出である。
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