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忠ちゃん奮闘記 / 1970 次男の交通事故 |
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和田の問屋センターの造成工事が始まった頃である。毎日何十台のダンプカーが私の家の前を走っていた。
当時次男の卓二は3歳であった。ちょうど昼時で家内は食事の後片付けをしていた頃である。小走りに走る音とあいまって「ガラガラピシャン」と玄関の戸が開く音がした。すると家内の「あー」と言う大きな声が聞こえた。玄関から道路までは、1メートルから1メートル50センチの間隔であった。先に述べたように、ひっきりなしにダンプカーが走っていたので、一瞬これは大変なことになると直感的に思った。
2〜3秒経ったか経たないうちに、ダンプカーの急ブレーキの音が聞こえた。いつの間にか私は外に出ていた。後輪で足が引きずられて行くのが見えた。どういう気持ちで車まで走って行ったことだろう。泣き声が聞こえたので、命は助かったと思い一安心した。私は卓二を抱き、引きずられて擦り減った足をしっかりと握り締めて、家内の運転する車で済生会病院に担ぎ込んだ。後遺症として両足とも親指を含めて指が2〜3本しか残っていない。思い出しただけでもぞっとする。幸いにもびっこを引くこともなくスクスクと育ってくれた。
私には言わなかったが、学校ではからかわれたことも有ったことだろう。それを乗り越えて道も外れず一人前に育ってくれた。いまでは2人の親である。
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