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 創業当時を語る 清川敏部長の昔話 / 昔話し

 マンガン自動ラインのある場所で、プレハブの建物で角型チップ固定抵抗器の電極メッキを手動ラインで約6〜7億個行っていた。作業はすべて手作業で行っていたため、7名の人員で早朝から深夜までゴム手袋、長靴、前掛けを使いメッキしていた。年々増産につぐ増産のため、1986年手動ラインの能力不足とゴム手袋、長靴、前掛けなどを使わなければならない作業環境の改善をめざし社長が自動1号メッキラインの導入に踏み切った。
 導入当時としては、最新鋭のラインでありメッキ条件はコンピュータ入力による自動管理であり、キャリアーによりバレルの自動搬送、また2バレル同時メッキ、メッキ条件履歴自動打ち出しなどにより手動ラインの能力以上あり、しかも人員3名での操作が可能となった。
 市場の好景気によりさらなる増産傾向となった時、社長が先に手を打ち1988年自動2号ラインの導入に踏む切った。自動1号ラインより進んだコンピュータシステムにより高度な管理が可能になった。また、1991年自動3号メッキライン増設となり現在に至っている。

  新規事業として、油圧継手を手動においてリン酸マンガン処理、リン酸亜鉛処理を行っていたものを、リン酸亜鉛処理から電気亜鉛メッキへの変更のユーザーの要望により、1987年亜鉛メッキ自動メッキライン新設を図った。電気亜鉛メッキ化において油圧継手の油の通路は電気メッキではメッキできずサビが発生するという課題があり、問題解決のため現状工法の改良と新規工法の導入を行い量産を開始した。

  また、自動車アクセル開度センサー用フランジ亜鉛メッキのサンプルメッキ依頼があったが、自動車エンジン近くで使用するため通常にメッキでは、メッキが延び回路をショートさせ自動車事故を発生させる可能性が皆無とは言えないため、全く延びない亜鉛メッキ自動ラインを導入し量産を開始した。

  メッキ業としては異質ではあるが、ユーザー要望により用地、建物を別途準備し1993年業務用パッケージエアコンのモータ製造を開始した。当初は、モータ製造の経験が全くなくユーザーと打ち合わせをしたり製造研修などを行い、φ94 2〜3機種の巻線、モールド、組立を開始したが生産機械自体が始めてであり、なおかつメッキとは違って複雑、高速であり、生産機械の知識習得、メンテナンス力習得に早朝から深夜まで行った。また、1995年φ94 全機種生産開始に当たり巻線機総入れ替えが行われ、1997年φ94モーターよりさらに大型であるφ120モーター製造に移行した。



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