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昭和24年頃、和田小学校2年生であったと思う。父は喘息持ちで1年のうち5分の1は英病院で入退院を繰り返していたので、母が病院で看病をしていた。
私は学校から家に帰り、父と母のいる病院へトマト、きゅうり、米、味噌、醤油等を毎日運んでいた記憶がある。
その当時福井大地震で学校の校舎と云わず体育館もつぶれてしまい、うなぎの寝床のような長いバラック教室が運動場に立ち並んでいた。
その前を風呂敷きに野菜等を入れて英病院へ通っていた時、きれいな担任の安良先生が「偉いね」と言って頭を撫でてもらい飴をもらい嬉しかった記憶がある。
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